「テクノロジー」が「アナロジー」を腐食する

千夜千冊1064夜ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』の一節

 脳がアナロジーを担当すべきところを機械がテクノロジーで代替してしまったのだ。一言でいえば今日のIT社会の問題のすべてが、この「アナロジーからテクノロジーへ」ということに集約される。
 こんなことは世の中を見ていれば至極当然な推移だと思っていたのだが、意外にも誰も指摘してこなかった。もっとも世の中の推移を見抜くには少しは鍛練がいる。縮めていえば「人間の生物的な本来」と「文化の社会的な将来」の両方についてちょっとばかり思索を深めていなくてはいけない。もっと短く縮めていえば「脳と言葉」「経済と機械」の両方の問題を解くスコープが同レベルで重なって見えてなければならない。世の中の推移を見るには、大脳主義者ふうの唯脳論や言語主義者ふうの素朴意味論者やMBAふうの予測に走る経済主義理論では、まったく役に立たないのだ。「脳と言葉」「経済と機械」をいつも連動させて見る必要がある。
 しかしその程度のことをふだんからしていれば、「アナロジー」こそが本来なのに、「テクノロジー」の将来がそちらに向かわないで、逆にアナロジーの解体や腐食を促しているだろうことは一目瞭然なのである。